くらんべりい日記

いまのところなんでも日記

無添加ハム2

無添加ハムがたくさん流通しているので、いろいろ食べてみたい。

まずは、いつも普通に食べているものの確認から。

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よつ葉系の自然食品店で買ってくる能勢の里ハム工場のももハム

 

原材料 = 豚肉・塩・砂糖・香辛料

賞味期限= 10日(3月17日に店舗にて購入で賞味期限3月27日)

内容量 = 60グラム

あ!値段確認忘れてしまった。。350円くらい。確か。

 

写真の上部が切れてしまったけれど、そこに無添加であることの説明がある。

 

・原材料がシンプルなのはもちろん、保存料も使われていないので、たぶん添加物ハムよりも塩がきついのだろうなと思うが、このハムは、とくに塩辛いという印象はない。

 ・市販ハムのようなゴムっぽさが無い食感

・噛むと、香辛料を含んだ肉汁が広がる感じ

 

・写真ではよくわからないが少しばかりはピンク。 うっすらほのかに。

 

鮮度

開封から3日目くらいまで、新鮮。

その後、少し油がたつ感じはしてくるが香りは失わない。

一週間たつと熱を加えるべき味にはなるが、腐敗はない。

 

賞味期限10日というのはもちろん封を切らなければの話で、封を切った以上、数日で劣化はする。しかしハムはそもそも保存食なので、無添加といえども思っているより以上に腐敗はしない。味は落ちるが。

 

日常的においしいと思っているハムなので、気軽に実家に持っていくなどはできるが、スライスしか販売していないから贈答品には難しい。特注すれば可能なのかもしれないが、贈答向きの保存や配送の対策があるのかどうかは不明。

 

 

 

無添加ハム 1

贈り物の返礼品でハムでも送っておいてくれと年寄りに頼まれた。(私も年寄りなので超年寄りと呼ぶべきか) それで、人の頼まれごととはいえども、やはり添加物だらけのハムを送るのはいやだと思った。自分自身はいつも無添加食品を食べている人間だからだ。

 

しかし相手が無添加ハムというものを見慣れない人である可能性が高い。そのばあい、赤くない、しろっぽいハムをどう思うのかがわからない。賞味期限も短い。それに、値が張る。オーガニックや無添加食品を、それに関心のない相手に送るのはこのようにいつも少しむつかしい。まあ私はあんまり人にものを送らないたちなのでそう困らないのだが。

 

とにかくそういうわけで、今回は、無添加ではないが、添加物オンパレードの大メーカーものよりは少しマシかと思われるメーカーものを選んだ。自分の贈り物ではないわけだし。妥協。

 

そのメーカーが少しはマシだろうと思ったのは、かつてそこが少なくとも無塩せき(発色剤を使っていないこと)と思われるものを販売していた記憶があったからだ。ところが、送ってしまってからよくよく表示をみたら、そこのハムの添加物状況は大メーカーとほとんど変わらなかった。私の記憶にあったのは、そこと同じような名前の別のメーカーだったようだ。

 

それは、同じ名前の店が5つも6つもある鎌倉ハムのことだが、今回の検索によって、私はこのたくさんの鎌倉ハムがみなまるで違うお店なのをはじめて知った。え、そうなの?!だ。そのうちの一軒が完全無添加ハムにこだわっており、一軒がちょこっと無添加もやってるという感じであって、他は普通に添加物ハムのお店なのだった。

 

で、この検索をしているうち、鎌倉ハムとは関係なく、いろんなお店の無添加のハムが、いまではあれこれインターネットで買える状況になっていることを知った。もう40年くらい前からムソー食品とかナチュラルハウスとかクレヨンハウスとかで、そして最近は大地を守る会で、食品購入している生活なのだが、あいにく肉類にあまり関心がなかったため、無添加ハムの状況変化にはずっと疎いままだったのだ。

 

いろいろな無添加ハムの画像を眺めていると、自然な色あいがとてもおいしそうに思われてきたので、ちょっとハムに凝ってみたくなった。そもそも、どういうのがおいしいハムというのか?? 肉類に関心がなかったが、ちょっと気軽に探求してみたくなった。

きのうのつづき

自分たちは史上空前の長さで「青春」を歌っている、というような意味のことをサザン桑田がインタビューで言っていた。確かにそう。昔の歌手は年とると年相応の歌を歌うようになっていたのに、みんな還暦すぎちゃってもずっと若い頃と変わらない感性の歌詞を歌っている。もちろん音楽性はすっかり高度になっているんだろうけれど、歌詞をメインとする若き時がそのまま。それでいいけどもちろん。べつにすっかり大人になりまくってしまった感性なんかをともに歌いたいとは思わない。

 

で、きのう、村上春樹が年くっても変わらないと書いたんだけれど、考えてみると、これも同じことなのかもな、と思う。べつにオトナなそれなりな苦労を描いてみせて欲しいとは思わない。

 

 

 

村上春樹「三つの短い話」を読んだ

 

文学界’18年7月号を借りてきた。

村上春樹「三つの短い話」を読んだ。<クリーム>という一篇がおもしろかった。おもしろいというのは興味深いというような意味ではなく、おもろい わろた というような意味だ。興味深くないというわけではないけれども。

 

しかし、村上の<なにかしらの深みありそうな感じ>は、さすがに、40年くらいつきあってると、ああ、あれね、といった気分がきてしまって、年くっても変わらんのね、この人、とは思うのだ。いいけどべつに。食傷するというわけでもないし。でも歌舞伎みてるんじゃないんで「よ!待ってましたっ」とは思えない。

まあまあいいけど。

 

<クリーム>では語り手が阪急神戸線の駅で降りて、バスで急坂を上がった所からだらだら続く坂を歩いて上がっていくのだけれど、その時に眼下に港がみえたりみえなかったりするという、その描写に、なにかこう、やはり、故郷の情景への思いの深さを感じさせられてしまった。この情景を描きたくて話考えたのかも、と思うほど。で、それは無理もないとは思う。私は家も学校も大阪で、神戸や阪神間にはたまに行くことがあっただけだけれど、それでも確かに素敵な眺めだというのはわかるので。

それにしても、作家も画家と同じく育った土地の色合いがベースになるものなのだなあ、とつくづく。

 

あと「三つの短い話」の<クリーム>のあとの作品名が<チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ>というので表紙に並んでいるから<クリーム>も音楽がらみの内容で、すると音楽ばっかり?と思ったら、そうではなかった。

もうじきお水取り

もうじきお水取りなので、ほんとに暖かくなるだろうけれど、今夜はまた少し寒さが戻っている。少し風邪気味。

 

とにかくとりあえずツイッターよりはたくさんの文字で書ける力を取り戻すことだけ目標の今。