くらんべりい日記

いまのところなんでも日記

1974年の映画「追憶」

十年ぶりくらいに「追憶」を観た。とても好きな映画のひとつで、何度も繰り返し観ていた映画だけれど、ここ十年くらいは通しては見ていなかった。

 

久しぶりとはいえ、何度も観たものだから、記憶違いというような部分はほとんどない。しかし、かつては見えていたつもりだった物語の機微が、いまみるとよくわからなくなっていたりはした。

 

たとえば。

最後で二人は結局別れるけれども、あれ具体的になにが原因? ハベルの浮気?彼が仕事に妥協したのががっかり? ケイティの理想主義に疲れた? そんな理由、もはやお腹に子供もいるのになんだかなピンとこんなあ、、と、ほんと、好きな映画だったというのに、今になってこれって。

 

こういう受け止め方の変化って自分の年のせいか? いやもしかしたら、時代変化も影響しているかも。ケイティがえらく依存的な女性である点にも違和感を感じる。

 

それやこれや疑問はあるとはいえど、それにしても、この映画は、あまりにも美しいレッドフォードと溌剌としたバーバラストライサンド、そしてそんなふたりの愛の夢の物語であり、わたくしどもが1970年代に見た大切な夢であるので、そのような名作のタイトルを、いまどきのちょちょっと日本映画のタイトルなんかに使わないでくれ!穢れる!「ひまわり」のときもかなり頭にきたが、これも我慢ならなく、くやしい。

 

 

 

 

 

「ブラッドダイアモンド」見るに堪えない

アフリカの内戦 過激派に襲われる貧しい村 撃ち殺されまくる丸腰の村人たち 捉えられて奴隷のようにダイアモンド採掘をさせられる人々 紛争のために不法に売買されていくダイアモンド 過激派が少年兵を仕立てていく様 

 

こんなのを娯楽として軽く見ていられる人たちっているのかな。私はとてもだめだ。今回3回目挑戦だが、やはり3分の一くらいでアウト。

 

現実を知らずに目をそらそうというつもりではなく、ニュースやドキュメンタリー映像あるいは書かれたものなどで学んでおきたいとは思う。でも、創作表現でお話に絡めて接するのはちょっと。

 

 

 

 

 

 

「アンジェリカの微笑み」

 NHKBSで視聴。

 

 

 監督が100歳く超えて撮ったからなのだろうか、なんだか神話のよう。プロットが単純ではなく、描かれた個別の出来事と物語の芯との繋がりがわからない、不思議な映画だ。

 

不思議な映画をみてしまったな。

 

頼まれて写真撮影した美しい死者に惹かれとりつかれてしまう青年が主人公。

 

不思議な映画だが、だからなのか、捉え方はさまざまに成り立つ。なんだか意味わからないんで、なにこれ?と思って逆にいろいろ考えてしまう。そこが神話のようだなと思った所以。

 

後になるとそんなふうに思ったけれど、観ている最中は「なにこれ?」感が強かった。がしかし、夜景シーンの美しさと、なによりも、あまりに美しいショパンに魅了されて、結局、とりつかれてしまっていた。

 

すぐにクリックでCDを買った。

後期ショパン作品集

後期ショパン作品集

 

 クラシックの音源は5年に一回くらいしか買わないのに、即買うとは。ほんとに、おそろしく美しいショパンなので。

 

 

「流転の海」を読んでいるアホで勉強嫌い

 

流転の海 第2部 地の星 (新潮文庫)

流転の海 第2部 地の星 (新潮文庫)

 

 

 

流転の海 第1部 (新潮文庫)

流転の海 第1部 (新潮文庫)

 

 

春から「流転の海」を読みだした。

 やっと第二部。

 

宮本輝は尊敬すべき作家だし、好きな作品もいくつもあるが、今までちょっと近寄る気にならなかった自伝大作の読者群に、私もまあやはりいよいよというかいまさらというか、とにかく参入。もちろん読みよい。その気ならばすいすい。でも、これがなかなかそうは進まない。いろいろ引っかかる。

 

第二部「地の星」新潮文庫版26ページにこんな描写があった。

”熊吾は名路の集落を抜け、、、、私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子に、、、、、のである。”

 

 

私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子

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私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子

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私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子

 

はぁ~。

つまり、私生児として生まれ育つ→ふつうはアホで勉強嫌い

ということが、まったくあたりまえのようにさりげなく描写されてるわけで、

これにはちょっと驚かされた。やはりねえ、世間様ってそうねえ。

 

こんな小さな描写にビビッと反応してしまうのは、私自身が嫡出外子だったためだ。普通に嫡出子な方々ならこんなの気にとめないのだろう。

自分は嫡出外子だということで、目につくような不利益を得たことはとくになく、経済的にも精神的にも普通程度に恵まれて成長したと思う。アホで勉強嫌いだったかどうかは、図る基準値によって違うと思うので一概に言えないが、仮にアホで勉強嫌いだったと認定されたとしても、それが嫡出外子であったこととどう関係するのかは未検証だ。

 

注!この話題で作者を非難したいわけではない。要するに「しょせん世の中、人間、こんなもんですわなあ」という気分に、こういったものにでくわすと思ってしまうという話だ。そもそも自分自身、嫡出外子問題には敏感だが、自分の身のことではない別の気の付きにくい差別問題に面したら、つい無意識にものを言っているはず。たとえば、ごく近年まで頭髪の薄い人をハゲとか太った人をデブとか言ったりするのはほんの軽口であって本人を傷つける可能性のある差別発言だとは思いいたっていなかった者のひとりだ。

 

さて、アホで勉強嫌いである可能性というのは、おそらく、生まれ落ちた環境が私生児ではおおかたよくないだろう賢くなるのに向いていないだろう、という予測からくることだろう。私生児だと生まれつきアホに決まっている、という意味ではたぶんないだろう。いや私生児など生む親はアホなのでその子はアホやろと考える非科学的な人もこの近代社会でもいるかもだが、宮本輝はそうではないと思う。それに、私生児だとアホで勉強嫌いが普通やろ、と言ってはいるが、私生児の存在を社会的な面から問題視しているというようなことではない。なにせ宮本輝には悪気は全然ない。

 

なので話を少しずらすが、社会的な面から嫡出外子の存在をなんとなーく非難的な視点で、これもたぶん悪気ではなく、みてしまっている人が世の中には多い。というか、ふううおおかたそういう感じですわ、みなさん。はっきり言って。自分では気が付かないでしょうが。

 

こちらにしてみれば嫡出外子であるという事実は自分で選んだわけでなく、こういう状況でぜひ生まれてきたかったわけではない。親に社会的に非難されるかもしれない状況があったとして、私にはなんら関係ないことだが、そもそも、それを、説明しないと気が付かない人に何人も私は出会ってきた。いわれてみればその通りだとみな納得したが、言われないと気が付かない。これはこちらにしてみれば、驚きだった。あんたら、あほか?

 

とか言い出すと「ひがんでいる」などと言い出す方もいたりする。これ、どういう発想なのか急には理解できなかったのだが、上下関係の現実にひねているというような見解なのだろう、おそらく。そのとき「私のほうが金持ちで偏差値も上やったと思われるのになんでひがむねん」とか内心思ってしまう私も、やはりしょせんそんな世間の人であった。(注・金持ちは言い過ぎで偏差値もまあまあ程度。念のため)

 

そんなわけで、あんまりまとまらないけれど、しょせん世の中こんなもんやんかと自分も含めて思ってしまうわ、このごろ、ということ。だからといって、差別問題なんか考えてもしゃーないということではないので、気のつくことから気のついた人から世の中少しでもましに修繕していくべきだけれども、しょせんこんなもんやでというのも人間の変えられない現実だということは、なにかと忘れないほうがいい気もする。

 

と、「地の星」当該部分に引っかかって考えたこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

目取真俊「面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)」

この間まで名前も知らずにいたカナファーニーを読むために借りた池澤夏樹個人編集世界全集の短編コレクションで、名前は知っていた目取真俊を、はじめて読んだ。

 

沖縄の戦後に、つらい体験にさらされて生きてきた女性の記憶が、海洋博や天皇襲撃事件といった時代背景と絡め、恋愛も含めてややファンタジックに一人がたりで語られる。沖縄について、戦争について、日本について、短い中に、いろいろなことを考えさせられる物語だ。

 

が、私には実は、まずなによりも、この女性が自分と同世代だという点が「え?」だった。おばあと暮らした子供時代を語るこの人自身のその語りが、既に「おばあの昔語り」なのである。あー、私らって、おばあなんだわぁー、と初認識した。

 

しかし、この沖縄女性とは違い本土都会に生まれ育った自分では、このような迫力はなく、やはりまだまだ「おばあ語り」はほど多い気がする。自分はなにしろまだまだ「若い」 この女性のようなおばあ語りをこの年で出来てしまえる体験と状況は、たぶん日本では沖縄にのみあったのではないかと思う。

 

 

「万引き家族」

さすがに年を取ってしまったらしくて、映画館にほとんど行かなくなった。腰が痛くなるとか金がいまいちないとかいろいろ理由はあるけれど、なにしろ気になる監督や俳優の映画でもBS放映まで平気で待ててしまうのだから。半年や一年など、あっという間なのだから。

 

万引き家族」がWOWOWで放映された。

寄せ集め家族の、万引きまでしながらもそれなりに牧歌的に楽しそうな、いわば浮世ばなれな日々が描かれる前半。それが壊されて、浮世の現実にさらされる後半。超名優揃いなので当然ながら後半のひとりひとりの演技の深さはもの凄いんだけれど、前半は少し、え?だった。もちろんひとりひとりの演技は高度。だけれど、いまひとつ、みんなの空気ができていない感があって。目が踊ってるというか。忙しい人ばかりが揃うんで、あんまり時間かけてないんではないのかと疑った。話のほうも、なんでいちおう仕事もしてるのに万引き家族なんよ?とかなり嘘くささを感じた。安藤さくらの役は、たいへんな過去をもってはいるものの、しごく気持ちが真っ当な女性であって(はっきり言って登場人物としてはけっこうつまんない役でとくに彼女がやる必要もない)、この女性がこういう生活するとはちょっと思えない。部屋の中にはだらしなさそうにものが散乱してるんだけれど、あんまりそういうふうにしてる人たちに見え無い。ちゃちゃっと片付けちゃいそう。ということで、前半で実はシラ~。あれ?こんなんなのという気持ちになった。後半はさすがの演技で「泣かせるね」だったけれども。

 

あんまり描かれた物語やテーマそのものに迫らない感想ではある。うーん。まあ、そういう感想だったということか。「誰も知らない」とか「歩いても歩いても」を見たときのようにはつよく気持ちが引き止められなかった。そこそこ面白いね、いい映画ね、といったところ。