くらんべりい日記

いまのところなんでも日記

「流転の海」を読んでいるアホで勉強嫌い

 

流転の海 第2部 地の星 (新潮文庫)

流転の海 第2部 地の星 (新潮文庫)

 

 

 

流転の海 第1部 (新潮文庫)

流転の海 第1部 (新潮文庫)

 

 

春から「流転の海」を読みだした。

 やっと第二部。

 

宮本輝は尊敬すべき作家だし、好きな作品もいくつもあるが、今までちょっと近寄る気にならなかった自伝大作の読者群に、私もまあやはりいよいよというかいまさらというか、とにかく参入。もちろん読みよい。その気ならばすいすい。でも、これがなかなかそうは進まない。いろいろ引っかかる。

 

第二部「地の星」新潮文庫版26ページにこんな描写があった。

”熊吾は名路の集落を抜け、、、、私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子に、、、、、のである。”

 

 

私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子

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私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子

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私生児として生まれ育ったにもかかわらず利発で勉強好きの甥っ子

 

はぁ~。

つまり、私生児として生まれ育つ→ふつうはアホで勉強嫌い

ということが、まったくあたりまえのようにさりげなく描写されてるわけで、

これにはちょっと驚かされた。やはりねえ、世間様ってそうねえ。

 

こんな小さな描写にビビッと反応してしまうのは、私自身が嫡出外子だったためだ。普通に嫡出子な方々ならこんなの気にとめないのだろう。

自分は嫡出外子だということで、目につくような不利益を得たことはとくになく、経済的にも精神的にも普通程度に恵まれて成長したと思う。アホで勉強嫌いだったかどうかは、図る基準値によって違うと思うので一概に言えないが、仮にアホで勉強嫌いだったと認定されたとしても、それが嫡出外子であったこととどう関係するのかは未検証だ。

 

注!この話題で作者を非難したいわけではない。要するに「しょせん世の中、人間、こんなもんですわなあ」という気分に、こういったものにでくわすと思ってしまうという話だ。そもそも自分自身、嫡出外子問題には敏感だが、自分の身のことではない別の気の付きにくい差別問題に面したら、つい無意識にものを言っているはず。たとえば、ごく近年まで頭髪の薄い人をハゲとか太った人をデブとか言ったりするのはほんの軽口であって本人を傷つける可能性のある差別発言だとは思いいたっていなかった者のひとりだ。

 

さて、アホで勉強嫌いである可能性というのは、おそらく、生まれ落ちた環境が私生児ではおおかたよくないだろう賢くなるのに向いていないだろう、という予測からくることだろう。私生児だと生まれつきアホに決まっている、という意味ではたぶんないだろう。いや私生児など生む親はアホなのでその子はアホやろと考える非科学的な人もこの近代社会でもいるかもだが、宮本輝はそうではないと思う。それに、私生児だとアホで勉強嫌いが普通やろ、と言ってはいるが、私生児の存在を社会的な面から問題視しているというようなことではない。なにせ宮本輝には悪気は全然ない。

 

なので話を少しずらすが、社会的な面から嫡出外子の存在をなんとなーく非難的な視点で、これもたぶん悪気ではなく、みてしまっている人が世の中には多い。というか、ふううおおかたそういう感じですわ、みなさん。はっきり言って。自分では気が付かないでしょうが。

 

こちらにしてみれば嫡出外子であるという事実は自分で選んだわけでなく、こういう状況でぜひ生まれてきたかったわけではない。親に社会的に非難されるかもしれない状況があったとして、私にはなんら関係ないことだが、そもそも、それを、説明しないと気が付かない人に何人も私は出会ってきた。いわれてみればその通りだとみな納得したが、言われないと気が付かない。これはこちらにしてみれば、驚きだった。あんたら、あほか?

 

とか言い出すと「ひがんでいる」などと言い出す方もいたりする。これ、どういう発想なのか急には理解できなかったのだが、上下関係の現実にひねているというような見解なのだろう、おそらく。そのとき「私のほうが金持ちで偏差値も上やったと思われるのになんでひがむねん」とか内心思ってしまう私も、やはりしょせんそんな世間の人であった。(注・金持ちは言い過ぎで偏差値もまあまあ程度。念のため)

 

そんなわけで、あんまりまとまらないけれど、しょせん世の中こんなもんやんかと自分も含めて思ってしまうわ、このごろ、ということ。だからといって、差別問題なんか考えてもしゃーないということではないので、気のつくことから気のついた人から世の中少しでもましに修繕していくべきだけれども、しょせんこんなもんやでというのも人間の変えられない現実だということは、なにかと忘れないほうがいい気もする。

 

と、「地の星」当該部分に引っかかって考えたこと。